奈良時代・平安時代の葬儀

日本では奈良時代に入ると、新たに作られる古墳がほとんどなくなりました。埋葬地域が限定され、基本的には都心部にお墓をつくることが許されませんでした。この傾向は身分の違いを越えて広まり、その結果墓地の概念が明確化することになりました。因みに奈良時代に入っても庶民の埋葬形式はさほど変わらなかったと言われています。前時代から続く土葬を特定の場所で繰り返していました。特定の場所とは、都心から離れた山中や川沿いを意味しました。さて、平安時代を迎えると、新奇な慣習が広まり始めました。その一つが高野納骨と呼ばれるものでした。当時は高野山を神聖視していたのですが、その高野山で火葬した際の骨を納める儀式が流行したのです。天皇や貴族を中心に広まっていたと言いますから、仏教の力がかなり強くなっていたことが分かります。平安の世が終わり、続いて鎌倉時代が始まると、いよいよ武士の文化と仏教とが葬儀文化に影響を及ぼし始めました。ご存知のように、鎌倉時代は鎌倉仏教の広まった時期に当たりますから、当然ながら火葬が広まった時代でもありました。浄土宗や浄土真宗と火葬との相性が良かったのです。但し、その広まりに技術が追い付いていなかったことも事実で、焼き切れない遺体の処理に困ったと言われています。特に庶民は独力で火葬処理するのは難しかったため、引き続き土葬を利用したとされています。庶民は火葬という新しい風を受け入れつつ、その背景にある仏教文化を学ぶことになりました。その結果、人々の死生観は大きく変わり、その後の戦国時代に繋がったのです。

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